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片手・片腕・隻腕(せきわん)…はいずれも差別用語ぎりぎりの単語なのだそうだが、そう言ってしまうと「左手のピアニスト」なども相当危ないことになる。
しかし、舘野泉さんの「左手」は、今や人々を感動に巻き込む賛辞の言葉であり、その「神の左手」はもはや前人未踏の領域に踏み込んでいる。
世の中は「連休」というものだそうだが、自由業には全く関係がない。一年中休みといえば休みだし、年中無休と言えば無休だからだ。
そんなわけで、以前、飲み屋で「いいですよね、休める(ような仕事の)人は」とぼやいたら・・「いいですよね、休めない(ほど仕事がある)人は」と言われたことがある。まあ、どちらにしろ、休みを真に休める人は幸いである…ということか。
もっとも、ちょっと前までの日本人は(父もそうだったけれど)、毎日毎日休まずせっせと何かをやっているのが当たり前だった。毎日毎日ごはんを食べ・酒を飲み・トイレに行き・音楽を聴き・夜は眠るのと同じように、別にその生活を「休もう」とは微塵も思わなかったわけだ。
そもそも子供は毎日遊ぶモンだし、作曲家は毎日作曲するモンだし、酒飲みは毎日酒を飲むモンなのだ。
魚が毎日泳ぎ、鳥が毎日飛び、ネコが毎日寝るようにね…
それと微妙にリンクして、午後、大河ドラマ「平清盛」にちなんだコンサート(タルカスを含む)の企画相談を受ける。
ドラマのために書いた音楽をずらりと並べれは、それこそコンサートを3日連続開けそうなくらいはあるのだが、問題は並べ方か。別件で「清盛♡組曲」なるものの選曲も頼まれる。
こちらも第1組曲、第2組曲・・と複数(まるでペールギュントだ!)生まれそう・・
NHKラジオ第一「ラジオ深夜便」に〈ヨシマツ2号(広報担当)〉ゲスト出演。前後編で2時間ほどというロング・インタビューを聞く。(聞き手:柴田祐規子アナウンサー)
NHKなので大河ドラマの話から無難に始まるも、そのあとは・・・
「作曲は独学であるべき」
「音楽を教わるなんて、推理小説の犯人を教わるみたいなもの。面白さゼロだし、やったら負け」
「お金になる仕事・近まわりの道より、お金にならない仕事・遠回りの道をあえて選ぶべし」
「音楽は仕事ではなくて(人生を賭けた)〈遊び〉」
などなど言いたい放題。「へ〜、そうなんだ〜」と頷きながら、(三畳一間での十数年にわたるひきこもり話とか、病床の父親に捧げた交響曲第5番の話とか)初耳の話も幾つか(笑)しかし、こうして客観的に彼の話を聞いていると、「アカデミックな音楽体験をちょっとでも持っている人」が彼の音楽を「異端」とする理由に改めて得心が行く。
要するに、笑って冗談めかしながら話しつつも、その根底にあるのは、かなり頑固なアカデミズム&プロフェッショナル否定論(というより差別主義)なのですよね。
それが、現代音楽やヒーリングやロックやクラシック(さらにプロとアマ)の領域をも同価にしてしまった彼の音楽の中にそのまま聞こえる。となれば、普通に「音楽を教わった人」や「ちゃんと勉強してしまった人」としては、そんなもの認めるわけにはいかない…と思う方が当然。
ま、私(ヨシマツ5号:ブログ担当)としては、面白ければどちらでも良いですけど。
Blog「月刊クラシック音楽探偵事務所」4月号更新。
今回は、若い演奏家たちに寄せる「演奏家たちの現在と未来」。
演奏家というのは大変だな…と常々思う。
自由気ままな作曲家から見ると、何月何日何時どこでと時間場所を決められて「決められた曲(しかも人が書いた曲!)」を演奏する(しなければならない)というのが、まず信じられない。
気が向いたら気が向いた曲を気が向いただけ演奏する…というのが至高の演奏家のような気がするが、それはアマチュアにしか許されない自由なわけで、「音楽家」という存在の《非音楽性》に、ときどき改めて背筋が寒くなる。それでもキミは音楽家になりたいか?
ああ、なりたければなるがいいサ。
2月3日(金)
午後7時から、ザ・シンフォニーホールで関西フィルハーモニー管弦楽団の第235回定期演奏会を聴く。今日の指揮は首席指揮者の藤岡幸夫(ふじおか・さちお)。
「藤岡幸夫のシベリウス・チクルス第1夜」と銘打たれた公演である。藤岡幸夫は、日本におけるシベリウス演奏の権威であった渡邉暁雄(わたなべ・あけお)の弟子であり、シベリウスを得意としている。
曲目は、ブラームスのピアノ協奏曲第1番(ピアノ独奏・小山実稚恵)、吉松隆の「朱鷺(トキ)によせる哀歌」、シベリウスの交響曲第7番。
午後6時40分頃から藤岡幸夫によるプレトークがある。
普段は関西フィルの事務局員の人が出てきて、指揮者と二人でプレトークを行うのだが、今回から指揮者一人によるプレトークとなったようである。藤岡も「普段なら横に暴走を止めてくれる人がいるのですが」と言って笑わせる。藤岡は、演奏会が「藤岡幸夫のシベリウス・チクルス第1夜」と書かれているのに、年に交響曲1曲の演奏ペースであることについて、「(まとめて)チクルスでやってもいいのですが、それだとシベリウス好きの人しか聴きに来ないので、お客が入らない」と説明する。音盤においてはシベリウスの交響曲全集はリリースラッシュであるが、それが演奏会のプログラムに反映されるまでには時間がかかる。マーラーやブルックナーも何だかんだで30年ぐらいかかっているから、シベリウスの交響曲が演奏会の王道になるのは今世紀の中頃になるだろうか。ただ、東京ではピエタリ・インキネン指揮によるシベリウス交響曲チクルスがある。東京ではこれまでも何度もシベリウス交響曲チクルスは行われており、シベリウスの交響曲がプログラムの定番として根付くのは関西よりも東京の方が早くなるだろう。
吉松隆について藤岡は「イギリスに留学する時に(藤岡は慶應義塾大学卒業後、英国の王立ノーザン音楽大学指揮科で学んでいる)、日本の現代音楽のCDを沢山持っていきまして、それまで吉松隆という名前さえも知らなかったのですが、『朱鷺によせる哀歌』を聴いて、この人に音楽人生の全部を捧げるのは勿体ないけれども(客席からささやかな笑いあり)、半分ぐらいは捧げていいのではないか」と惚れ込んだことを語る。また吉松隆が「シベリウスの交響曲第6番を聴いて作曲家になりたいと思った人」であることも紹介する。
実を言うと、私のデビュー作である「朱鷺によせる哀歌」は、徹底的にこの「対向配置」から生まれるステレオ効果にこだわった曲で、弦楽器群は完全に〈左右対称〉に配置されている。
つまり、ヴァイオリンもヴィオラもチェロも2群になって同じ数だけ左右対称に並び、ベースは中央最後部に位置する。すると、上から見ると左右対称の鳥の形になっている!(ヴァイオリンが両翼、ピアノが胴体、ベースが尻尾)という仕掛けである。
もちろん、視覚的に左右対称にすると同時に、音響的にも左右対称によるステレオ効果を狙ったのは言うまでもない。・・・のだが、実は、これでは「音量的に」左右対象にならないのは、これまで説明した通り。(つまり、右翼の弦楽器…特に第2ヴァイオリンと第2ヴィオラが、楽器の向きが裏側になることで微妙な音量的ハンデを抱えるのである)
しかし、西洋音楽の伝統では〈第2ヴァイオリン〉というのは、要するに「主ヴァイオリンとは違った場所にいる別のヴァイオリン群」というような性格を帯びて生まれたもの。
そのため、ベートーヴェンからワーグナーやマーラーの時代までのオーケストラ配置図を見ると、ほとんど第一ヴァイオリンと第2ヴァイオリンが左右に離れて配置されている。これを「対向配置」というのだが、戦前までは、こちらの方が「標準」だったと言う。
(この「対向配置」という呼び方は、第1と第2ヴァイオリンが左右に向かい合って…対向して…並ぶことから生まれたもの。ただ、厳密には「標準配置」ともども正式な名称はないようだ)
実際、作曲家たちもこの配置を前提としてスコアを書いていることが多い。
例えば、チャイコフスキーの「悲愴」最終楽章冒頭の不思議な部分(第1ヴァイオリンと第2ヴァイオリンで交錯するように主題が出てくる)などは、対向配置にするとメロディが右に左にと揺れ動く効果が立ち現れる。
これは、心の揺れの激しさを表す絶妙のオーケストレイションだが、標準配置ではほとんど伝わらない。(ちなみに、この部分の揺らし方では、第1ヴァイオリンとヴィオラ、第2ヴァイオリンとチェロが同期していることから、チャイコフスキーがはっきり対向配置を前提にして作曲したことが分かる)
それでも、見た目にもっとも分かりやすいのは、(実は作曲家がスコアに書くときもそうなのだが)高音から低音に並ぶ形だ。
つまり左から〈第一ヴァイオリン〉〈第2ヴァイオリン〉〈ヴィオラ〉〈チェロ〉〈コントラバス〉という並びである。一説には、戦後ストコフスキーが始めた並び方で、向かって左が高音、右が低音と分かりやすいことと、ステレオ録音などでイコライジングしやすい(左チャンネルを高音強化、右チャンネルは低音強化すればいいわけなので)ことからの採用と言われる。
音域で明快に分けられた配置なので、音楽的にも「主メロディ」「伴奏の内声」「ベース」など、音楽を構成するパーツ(声部)が分かりやすい。
また、演奏上も、同じ音域の楽器がすぐ隣に配置されているので、アンサンブルがしやすい。その点では、理にかなった並び方だと言える。
縦に弾くタイプの楽器は、自然に楽器表面の共鳴孔(f字孔=ギターで言うサウンド・ホール)が正面、つまりお客の方を向く。当然ながら、そのまま正面を向いて演奏するのが、一番演奏しやすいし音が通りやすいことになる。
一方、腕で支えて弾くタイプの楽器は、必然的に、表面の板に開けられた「f字孔」、つまりサウンドホールが上を向く。つまり、音は上に向かって立ち上る。
しかし、真上というわけではない。右利きの人間が右手に弓を持って弾くため、楽器は右肩下がりとなるからだ。つまり音は右上に立ち上がる。
ということは、ヴァイオリンやヴィオラは奏者の右に聴き手がいるのがベスト。必然的にヴァイオリニストは舞台の下手(向かって左側)に右向きになって座って(あるいは立って)弾くことになる。
逆に、舞台の上手(向かって右側)に左向きになって座って(あるいは立って)演奏すると、楽器の背の方が客席に向くことになり、音も客席の方ではなく舞台奥の方に飛んでいってしまうことになる。
そんなわけで、ヴァイオリニストは必ず右向きになって演奏するわけである。
(もっとも、左利きの人が左手に弓を持って弾くなら、その逆も可なのだが…)
しかも、このヴィオラ全盛期には〈ヴァイオリン〉といったら「小型で持ち運びやすく甲高い大きな音が出る小さなヴィオラ」(要するに、携帯用小型ヴィオラ)に過ぎず、どちらかというと村の祭りや酒場で活躍する下賎の楽器だったらしい。
ところが、気がつくといつの間にか立場が逆転し、ヴィオラの方が〈少し大きなヴァイオリン〉とか〈低い音が出るヴァイオリン〉と呼ばれるようになってしまったのだから、時の流れというのは恐ろしい。
むかしむかし、作曲を勉強をするにあたってチェロを買ったことがある。
とは言っても、チェロで作曲をしようというわけではない。
作曲をする道具としての楽器は「ピアノ」に尽きるが、オーケストラの基本は何と言ってもヴァイオリンを頭にする「弦楽器群」である。
そこで、弦の響きを体感し、同時にボーイングや特殊奏法などの研究をするためのサンプル(実験素材)として、楽器店に飾ってあった格安のチェロを衝動買いしてしまったようなわけなのである。だから、演奏できるわけではない。最初はバッハの無伴奏チェロ組曲くらい弾いてみようかとも思ったが、すぐあきらめた。ピアノとは全く逆に、左手指で音程をとり、右手は弓を握るだけ…という奏法に頭がついていけなかった(拒絶した)のかも知れない。
その後はずっと、「管弦楽法」の本を読みながら、駒の近くを弾く(sul ponticello)奏法とか、胴を叩いたり駒をきしませたりする特集奏法の研究に没頭していった。
嗚呼、可哀想なチェロ・・・
(でも、その成果は1980年の私のデビュー作「朱鷺によせる哀歌」に結実したし、2003年にはチェロ協奏曲〈ケンタウルス・ユニット〉も書いたのだから、きっと許してくれるだろう・・・)
中島敦の「名人伝」という掌編に、中国の弓の名人の話が出て来る。
弓を射れば百発百中。シラミの心臓を射貫き、一矢で五羽の飛ぶ鳥を射る。しかし、それは所詮「射之射」にすぎず、弓の極意は「不射之射」。やがてそれを極めた名人は弓を持たなくなり、ついには全く触れなくなる。そして、最晩年には弓を指して「あれは何?」と訊くに至り、周囲の者を驚愕させたという。若い頃は「んなバカな」というか、まあ、中島敦流のユーモアと思っていたが、最近とんとピアノに触らなくなっている自分に気付き、彼の言う「不射の射」を何となくリアルに実感するようになった。
なにしろ、両手でいわゆる「ピアノを弾く」という状態には・・・・かれこれ数年ほどなった記憶がない。そのくせ、今期、大河ドラマでかれこれ80曲を超える曲を書いているわけで、自分でも不思議である。はて、どうやって書いたのか?。
元々が独学無手勝流なので、即興以外でピアノは弾けず、絶対音感があるわけでもなく、ソルフェージュ能力もほぼ皆無。当然「異端」と呼ばれて、この道を独歩すること三十有余年。作曲道具も最近はすっかり電脳(パソコン)になってしまい、指が向かうのが「鍵盤」ではなく「キイボード&マウス」になってしまった、というだけのことではあるのだが・・・ただ、年取ってぼけたら、ピアノを指して「これは何?」と訊きそうな気は・・・ちょっぴりする。